第四章「Saturday night special(土曜の夜のジャンクなアイツ)」

 かつて、あれほど爽やかに「恋をしよう」と言った人間が居ただろうか?
 下心があるのが当然。それを忘れてしまいそうになる程、人間が愚かしくなるのは何故なのだろう。

 悶々とアリスは一人考えていた。
 先ほど、元気の無いアリスにロリーナがホットミルクを持ってきてくれた。優しく抱きしめてくれて、これを飲んで寝なさいと頭にキスをくれた。

 エース兄に恋愛感情はあるかと聞かれると、困る。ずっと一緒に居たのだ。
 それこそ、多忙な父より、疎遠な妹より家族らしかった。

 日焼けを良しとしないロリーナに黙って、エース兄は少々強引だが、外に連れ出してくれた。
 よく生い茂る太い樹が二人の隠れ家。子栗鼠のように、枝葉の間を行き来して、それだけで愉しい。
 二人手を繋いで・・・半ば引っ張られるように走ったのだけれど・・・いると、幼稚な男の子は揶揄する。
 すぐ泣いてしまったアリス、男の子達は、・・・即時心身ともにエース兄に衰弱させられていた。今なら愚かしく喧嘩をふっかけることはしないだろう。

 そうだ、あの時はロリーナが探しに来て、エース兄の事を詰ったのだ。
 もう二度と会えないと思った次の日、エース兄はやっぱり、二階の窓からひょっこり現れてアリスの頭を撫ぜてくれた。
 トカゲのシッポをくれたのだが、それはご愛嬌と言うものだ。シャムロック(シロツメクサ)の花冠や、ダンデライオン(タンポポ)の指輪なんて甘酸っぱいものをエース兄に期待してはいけない。
 だからこそ、エース兄の為に、もう二度と簡単に泣くもんかと思ったのだ。

 季節の草花で遊び、蜜を舐め、足の赴くままに遊んだ。近所に子供は居たけど、二人だけで良かった。エース兄の手は二本しか無かったから、片手はアリスと繋ぐため、もう片方はおもちゃを掴むためにあった。

 怪我もいっぱいした。だけど、いい思い出しか残っていない。
 苦しみが残していったものを味わえ。苦難もすぎてしまえば甘美であるとはゲーテの言葉だ。しかし、誠そうかもしれぬ。

 好きかと言われると、分からない。ただ、あの頃のように独占できないのが悔しい。
 相手が何を考えているか分からなくたって構わなかった。
 ・・・今はそうじゃない。

「どうせ、からかっているのよ・・・」
 つい、口の端に出てしまった。
 エース兄は教育が始まった途端、めきめきと頭角を現し、多忙な子供になってしまった。
 ぽつり置き去りにされたアリスは所詮それだけの存在だったと思う。
 エース兄は微塵も見せないが、小さな頃から守るべきルールに厳格な方だった。他人と関わるようになってからアリスが感じるようになったことだ。

「昔から接触過剰だったし・・・」
 手を繋いで歩き、歩きつかれたから、二人で木陰でお昼寝。
 一緒に水遊び・・・池に落ちて死にそうになったが。じゃれ合ったまま落ちたんだ。
 女の子の服を不思議がり、スカートを掴まれて、流石に驚いて手を払ったのだ。

「いつまでたっても、距離は変わらなかったし・・・」
 多忙な子供にも休みや気まぐれがある。
 エース兄はその手足が伸び始めても、同じようにアリスの手を掴もうとした。気恥ずかしくてその手を払ったのは自分だが、変わらずにあちらへこちらへと振り回してくれた。エース兄は手を繋ぎたい時に、そうするのだ。

 労働の対価を得るようになってからは移動距離が格段に増し、アリスの受ける徒労もそれに比例したのだが。

 アリスはベッドの上で膝を抱えてしまった。
 思い出に埋もれる歳でもないのに、そう自己嫌悪する。

「相変わらずうじうじしてるね」
 ベッドの妙な軋みに顔を上げると、エース兄の顔があった。
「・・・不法侵入」
 アリスは今更ながらも言わずには居られなかった。
「せめて夜這いって言おうぜ。・・・声がしたから」
「はっ?」
「アリスの声が聞こえたところに行ってみただけ。それが屋上だったんだ」
 良かった良かった。
 エース兄は出し惜しみすらすることなく、爽やかに笑う。
 一瞬、何のことか分からず、怪訝な顔をするアリスにエース兄は満足そうな顔をする。頭の悪い、可哀想な子を見る目だ。

「・・・あ!エース兄が屋上に辿り着いた理由!」
「正解」
 教師のような言い方。アリスはベッドの上のクッションを掴んで叩こうとしたが、静かに力強く止められた。順序良く分かりやすく話してくれればいいのに。エース兄はいつもそうだ。

「この部屋に辿り着くのも、アリスの声がするから」
 答えを知ればなんてことはない。アリスは呆れて声が出なかった。横を向くのは、照れ隠し。でも、緩んでしまった頬を隠せただろうか?



 そんなアリスを傍目に隣でエース兄が訥々と話し始める。
「この前さぁ・・・隔離レベル4の・・・」
「待った!」
 アリスは遮った。
「嫌!細菌兵器とか勘弁!そんな物騒な話を聞いても何にもできないし!」
 エース兄の研究専門分野は軍事だ。生物兵器も一通り習熟している。
 あの研究所の建物は古く美麗なばかりではない。敷地内には高レベルの隔離実験棟だって存在するのだ。

 うっかり研究ファイルを見た日、アリスは悪夢に魘されたのだ。あの日の二の舞は御免被る。

「世間話はいいから、本題に入って」
「君ってせっかちだよね、アリス」

 エース兄は机の上にあった、ガムのパッケージに手を伸ばして、指を挟まれている。
 アリスが双子から貰った悪戯玩具だ。
 笑顔で、不機嫌な雰囲気を向けてくるエース兄が怖い。
 それは、私のせいじゃない。


「だから本題に入って!」
 たまらず、悲鳴のようにエース兄に話を促す。

「えー・・・だから、先ず、種明かししたよね。だから恋人の条件は満たした。次に、世間話をした。残るは恋を実践する」
 ぬっと顔を近づける。まだ、曲げたままの旋毛を隠さないらしい。
 ひとつ、またひとつと口に出しながら指を折る。指を折るたびにその不機嫌さは霧散してゆき、森林浴をしているような爽やかさが広がってゆく。

「・・・という理由で、実践。君と恋人になりにきた」
 ともすれば、そのままどうにかなってしまいそうな、脳髄を蕩かすような笑顔。
 しかし、そんなことでは融解しない、横たわった幼馴染としての歴史。

「・・・ふざけるのもいい加減にして。・・・そうよ、恋人だって言うなら、今日起こったことが説明できるわよね」
「研究所に君が来た」
「その後よ!その後!」
「君が泣いた」
 アリスは怯んでしまった。が、ぐっと堪えて続ける。
「・・・その後」
「君と恋人の約束をした」
 エース兄の言ってることは嘘ではない。

「・・・その、ちょっと前」
「君がお菓子の箱に顔を突っ込んで、ただでさえ高くない鼻を潰した」
 こうやって、エース兄はアリスの襟度を試すのだ。挑発に乗ってはならない・・・

 目の前の獲物を吟味する目でアリスを見つめる。引っ越す前飼っていた猫のダイナを思い出す。ばしばしとその掌で毛糸の玉を弄んでいた。

「・・・その前に、誰かに襲われたのよ。私たち」
 そうだっけ、嘯くエース兄は信用ならない。先ほどの双子達の悪戯玩具の仕組みを興味深そうに解明している。その姿に、ついついアリスの口調は緩む。

「・・・ねぇ。誰が何のために?」
 今度は、アリスがありったけの意地悪を込めて、上目遣いに見つめる。

「・・・うーん。雑魚過ぎたから、研究都市の外からじゃない?アリスの身柄まで確保しようとしていたから、マフィア資本かなー。舐められたものだよね」

「ちょっと待ってよ、エース兄の危険はともかく、ウチを巻き込まないでくれない!」
「・・・君って酷いぜアリス・・・」


 見た目から想像ができないが、エース兄は鼎を扛ぐような存在だ。
「僕達子供だけれど、向かうところ敵なしだよね、兄弟」
 そんなことをさらっと言ってしまう、あの好戦的な双子達ができることならとエース兄を避けている程だ。
「その通りだよ、兄弟。だから、お姉さんに付く悪いやつは排除しなくちゃね」
 そうそう、双子達ならそんなことを言いそうだ・・・


「・・・」
 今日は、何があっても驚かない方が、アリスの心臓の為かもしれない。
 バルコニーに双子が居る。
 その後ろには、見た目より好戦的そうな大柄な男性と、気だるそうにした、しかし視線の強い男性が居た。

「あれ?帽子屋さん達、散歩?」
 エース兄はさして驚くこともなく、のんびりと答える。

「ブラッドはそんなに暇じゃねぇ!」
 僅かな灯りを受けて、それでも輝く見事なオレンジがかった髪をした大柄な男が殺気立った。
「・・・エリオット」
 ブラッドと呼ばれた男性が、エリオットと呼ばれた男性の手元を押さえる。
 そこには間違いなくホルスターがあるのだろう。
 アリスは自宅なのに、生きた心地がしない。

 その呼び名を詐称することすら恐ろしい、マフィア資本で有名な研究所のご一行様である。何故自室でこんな恐怖を味わわねばならぬのか。
 心には雷鳴が轟く、全ての人工物を吹き飛ばしてしまうような竜巻に襲われたような衝撃が心をかき乱す。

「こんばんわ、お嬢さん」
 帽子を少し上げて、挨拶をする。喉が干上がるのを押し殺して、アリスは立ち上がって礼を取った。
 ブラッドは口の端を歪めて、珍獣でも見るように笑った。

「・・・瑣末なことだが、ちょっとそちらに用があってね」
 アリスの傍らに居るエース兄に視線をやり、小さく肩をすくめる。

「今日のことは、我々の関知すべきことではない。が、他所の勢力に荒らされるのは本意ではないのでね。充分な礼をさせてもらうよ。放置していると思われるのはそれこそ、本意ではない。・・・これから楽しいピクニックに行く途中だ」
 エース兄は、マフィアの冗談にさしたる感慨も無いらしい。

「サタデーナイトスペシャルの取り締まりだ」
 アリスが耳慣れない単語に怪訝な顔をすると、エース兄が注釈してくれた。

「サタデーナイトスペシャルっていうのは、とある国で使われている言葉で、安かろう悪かろうな小型拳銃のことを指すのが、一般的な意味かな。土曜日の夜に起こる喧嘩やしょぼい強盗犯・・・って言っても、強盗は重罪だけどね。まぁ、そんなことに使われるようなやつだよ」
「闇に紛れやすい土曜の夜に闇取引される安価な拳銃と言う意味もあるな」
 帽子で表情の読みにくい男が愉しそうに同調した。
「あれが、サタデーナイトスペシャル・・・」
 アリスの呆れ声は、完全武装の相手を指してしょぼいと言わしめる男共に対してである。

「一応、知らせておかないと、俺達の面子に関わるからなっ!流石ブラッドだぜ!」
 先程の殺気はどこへやら。見事な金髪、情熱的なオレンジ色にも見える髪からにょっきりと柔らかそうな兎の耳が覗かせる。

「僕達、子供なのに深夜労働だよね。兄弟。特別手当は出るのかな?」
「特別手当は勿論、代休も貰えると思うよ、兄弟」
 これは、俗に言う討ち入り前なのだろうか?
 現実感の無さに、驚く気力も段々失せて来た。

「お姉さん、待っててね。ちゃんと始末してあげるからね」
「お姉さんの分の落とし前もちゃんと請求してあげるね」
 にっこり。演出された、穢れだらけの子供の無邪気な笑顔。
 アリスは言葉を失くして、ぎこちない微笑みを浮かべた。

 ブラッドという男は、エース兄とアリスに遠慮のない視線を送っていた。エース兄は些か冷たい笑顔でそれを返す。
 雰囲気を察しないのか、そんな殺気は日常茶飯事なのか、エリオットと呼ばれる男性が子供たちを小突く。
「おら、行くぞ!」
「なんだよーひよこウサギ!」
「命令するなよ馬鹿ウサギ!」
「俺はウサギじゃねえ!」
 ぎゃいぎゃいと喧騒を引っさげて、バルコニーから身軽に闇夜に消えて行った。


 エース兄が居なかったら、へたり込みたいところだ。
 しかし、この宵の口に騒がしくしてしまった。ご近所の様子が気になり、気力を振り絞って、バルコニーに出る。

「ああ!アリス!どうしてあなたはアリスなのですか!」

 もっと脱力したくなる歓喜の大声がバルコニーの下から浴びせられた。
「バルコニーから叫ぶのはジュリエット・・・」
 お前はせめて、ロミオを気取るべきだ。そうペーターに見当違いの罵声を浴びせたい気分だった。
「さっすがペーターさん・・・」
 ああ、後方からエース兄のどす黒い気配が満ちる。

to be continued...


■寄稿の再録■
おー…よかったオリジナルが残っていた…うっかりフォルダ削除ちゃっていたり3(どじっ娘☆)
っていうか、全部そうだよ。(開き直った)
ちょっと改行直した程度。じ、地道な作業が面倒だ…
Faceless@MementMori 03/04/2010