序幕-封切り-

「…もうすぐだ……もうすぐ、君に会える」
 帰郷を待つ恋人に届ける恋文のように、願いを込めた言葉をその唇に。



 それを口にして、咎められることはない。
 ここは、暗い夜道なのだから。

 それを口にして、咎められることはない。
 ここは、暗い監獄なのだから。


 闇夜と暗がりの間(あわい)に身を寄せて、ひとりでふたり、ふたりで一役を名乗る奇妙な男が、篝火に浮かび上がる。

 一夜の享楽を甘受するものには、微笑み返す道化に
  ―――成功を誇る流浪の民は随所に豪奢な装飾。隠した矜持心の高さが覘く。

 馳せた想いに疼痛を抱くものには、厳めしい官吏に
  ―――腰には鍵束、刺した鞭、隙無く締めたタイと、真正面を向いた帽子。

 対するものの、心の在り方ひとつで彼らは姿を変える。
 色価(ヴァルール/valeur)だけが同じ面付きの奇妙な男。
 熟した茱萸と共色の髪、葬式でもあるのかと思うほどに、暗い色の服。なのに、随所に華やかな色を挿す。

 目頭の切れ目が、目尻よりも若干高い、彼らの顔のしつらい。
 望むままに、それ見ると…


「……泣く子は縊り殺して、スープに浮かべちまうクセに…」
 …よくも、言えたものだ。
 官吏の顔をした、もう一人がそう呟いた。

 不遜。
 しかし、苦く呟くそれに滲むは、ゆるぎないもの。



「ふふっ………否定はしないよ…そうだなぁ…旅愁にも、虜囚にも、暖かいスープほど、その身に沁みるものはないと思わないか?」
 心外だよ?
 道化の顔をした男が、享け応える。

 尾籠。
 しかし、慇懃な物言いは、脳髄を麻痺させる。



「……………巧いこと言ってんじゃねーよ…俺と同じ顔して、そういうの止めろって」
 暫しの沈黙の後、屈折した言葉を選ぶのは官吏の彼。

「ジョーカー…君もまた」
「言うな。…俺はそんなことに、興味なんぞねぇ…ジョーカーだからな」
 言い捨てるように、暗がりに姿を消す。


 キィと蝶番(ちょうつがい)の喘ぐ声。
 ガシャン、と一人では開けられない扉の音。


 官吏の顔の男が、声だけ遣す。
「……――――ああ、また適当な嫌疑で、役持ちを引っ張ってきて、あわよくば、ここに繋く気か?」

 驚くでもなく、道化の男は、くつくつと笑ってそれに答える。
「ああ、勿論。…だって、それは皆が期待していることだろう?俺が、そうすることを」

 スポットライトに残った「ジョーカー」が嗤う。

 呼応するように、彼の足元に散らばった玩具達が、目を覚ました。
 小さく震える彼らは、一様にこう叫ぶ「おはよう、ジョーカー」と。

 ひとつだけ無言の小さな仮面をひとつ、男は拾いそれをベルトに刺した。

「俺は監獄の所長だから、嫌疑をかけられるスリルを皆が求めている。期待には応えて、愉しんで貰わなくちゃ、ね」

「…弱いんだから止めておけっつっても、お前は止めねーよな。まったくイカれてるぜ」 消えたジョーカーの声が、先の仮面から発せられる。玩具の声のように、甲高く、何がそんなに面白いかと思える程に、薄ら寒い笑い声を巻き上げて。


「ふふふ、今度は死ぬかな?」
 誰が、とは言わない。

「…知るかよ。この変態。死ぬなら一人でおっ死ね。…ああ、臭わないように一人で埋まるなりなんなり後先考えろよ!ケケケケケケケケケ…」
 玩具の、耳を劈(つんざ)くような、笑声が言葉尻から辺りに撒き散らされる。



 彼らには固体識別する為の名はない。
 呼称は尊大にも「切り札」を暗喩する「ジョーカー」である。
 単体でゲームを勝ち抜くことはないが、必ず何かを擬態し、多くの勝敗を左右する。


 己が罪を抱えるものの心の重さ。
 その荷を降ろしたものの数の多さ。



 さて、誰にどの姿を見せ、誰がどの姿を見ることになるのだろうか?



序幕-一座-



 世界に繋がるサーカス団の旅する道。
 景気よい太鼓に合わせた音を鳴らせて、獣を遠ざけ、享楽と季節を嘘と共に運ぶ。
 一団は篝(かがり)火を絶やすことなく焚き、その旅路を楽しむ。
 旅慣れた彼らは、荒野をよく知っている。急ぐ旅ではない。
 しかし、シンバルを打ち鳴らし、喇叭を鳴らし、浮足立って、誰もが華やいだ仮面を付けたまま。

 どこか哀愁のある管弦の音とともに歩む。
 享楽に満ちた声と共に、すぐ砂埃の向こうに消えてしまうけれど。



 横着にも、彼らは道の真中に夜営を張る。
 彼らは知る。獣達くらいしか、この道を往来する者なぞ居ないことを。

 麦酒を樽のまま飲みこむような者。塩漬け肉と共に、火のつくような酒を呷る者。
 くべた薪の傍らには、言いつけを守り、煮える大鍋を見張る幼い児。

 酒が廻り、食べ物が廻る。
 そして、若い娘が軽やかにステップを踏むと、相聞のように若い男が手を打ち鳴らし、応じる。

 嬌声が、サーカスに相応しくない、重さを伴ったマンドリンの音色に変わる。


「暗くなったら、外で遊んではいけないよ―――」
 哀愁を帯びているのに、明るい旋律を歌われる。

「―――サーカスが君を攫ってしまうから」
 即興の歌が乗ると、子供たちもが、恐ろしさを楽しむ声で囃し立てる。

 子供たちは我が偉大なる道化た団長の腕に絡み付き、宴の中心へと誘う。
 穏やかな表情で、子供たちの腕を解き、それぞれの頭を撫ぜ、輪に返す。


 奏者のずんぐりした指が、曲芸のように複雑に動いて、詩情豊かなトレモロを効かせた音楽が青年の爪先に波のように寄せては返す。
 負けじと、スカートを翻し、カツカツと足捌きを見せる女達
 スカートが捲くれ上がると、男達は下卑た笑いの渦を大きくし、時には口笛が跳ぶ。


「…もうすぐだ…」
 先程、子供達にジョーカーと呼ばれた青年。篝火がちろちろと、青年に動く影を与える。
「ふふっ…」
「……うるせぇ…眠らせろ…」
 仮面が不機嫌そうに、青年の声に答える。

 仮面に対してそのように表現するのは、とても奇妙なことであるが、仮面は唸るようにして、口火を切った。

 仮面は、青年の腰に刺したそれは、ちょうど青年が緩く拳を握った大きさ。
 なのに、もう一人居るのではないかと思うほどに、存在感がある。

「…夢見てんじゃねーぞ、ジョーカー ……っち……ったっくよー、同じ呼称なんて呼び辛れぇじゃねーか!」
 俺と同じ顔して同じ姿で浸ってんじゃねーぞ!

 仮面が悪態を吐く。
 口調さえ違えど、声色は…同じ。

「…ジョーカー……君だって……」
「……んだよ……」
 言い淀むように喋る彼は、舞台を降りても演者のまま。
 仮面は不機嫌さに、気持ちを隠している。

「ふふ……俺に遠慮してくれるの?」
「気色悪いこと言ってんじゃねーぞ、このド×でド×のド×××× ああ、やってられねぇ……」
「嘘だね」
 君だって、俺だから、俺のように、君もきっと。

「………っち!」
 断言に舌打ちで返す。
「言っとくが、お前は道化が過ぎる」
「…君は、切り札であろうとし過ぎるよ。…まったく。らしい、よね?」
「うっせ!ジョーカーは俺だ!」
「心外だな…俺も、ジョーカーなんだよ」


 中指の腹で仮面の頬をつっと撫でる
「君も、興味あるだろう?」
「気持ち悪ィことしてんじゃねーよ!…あぁ?…役持ち達を任意で『席』に引っ張ってくることがか?」

「…ああ、それも愉しみだ」
 あるかもしれない、嫌疑を引っ掛けて、客席…見るものからすれば、法廷のそれに縛りつけて。
 そう、青年の下がった眦が語る。

「…ご執心じゃねーか」
「まぁね。そろそろ真打登場と行きたいじゃないか?」
 その言葉に仮面は鼻で嗤う。


「知っているか?役者ってのは、最初のうちに出揃った奴らが大役なんだぜ」
 あとは端役と決まっている。興味なさそうに装った仮面の声。

「その定石を崩すのが、ジョーカーだと思わないか?」
 最初のうちに出揃った奴らになり済ましてしまえばいいんだよ。

「はっ!御免被るね!…俺は俺だ…ジョーカーになりたいやつなんてロクなもんじゃねぇが、ジョーカーである俺様が何で他の役のフリなんてしなくちゃならねーんだよ!」

「うん。俺も俺だ…その役になることはできないし、したいとも思わない」
「…騎士と正反対だな…」
「…君、彼とは仲いいもんね。俺はどうやら…嫌われているみたいだけれど」
「嬉しそうにすんな。このド××××…」
「君だって、俺だから、俺のように、君もきっと」

「…誤解されるようなこと、言うんじゃねーぞ…」
 奇妙なことに、仮面が溜息を付いた。

to be continued...


■なかやすみ
副題のCarpe diem(カルペ・ディエム)ホラーティウスだったと記憶しているが、ラテン語だったらホラーティウスの確立が高い(苦笑)
まぁちょっと意味深に。活かしきれるかどうか〜なんとかするさ。だってひとりでやっているんだし♪
アリスが出てくるまでが長いー…だからアリスが出るまえに序章としてぶっちぎっちゃった♪(←死)

プロットの都合上、端折ったらダメかなーと思ってねちねちねちねち書いている。
ホワイトさんとブラックさんの位置的なものを書いておかないと「???」なものになりそうだからー…
気長にお付き合いいただけたらと…だめ?ままこさん?
Faceless@MementMori 01-10/04/2010
作り置きした日と、繋げた日。