間幕 其の一、-少女を留める手段-

「この世界に愛なんてあるの?」
 口許を歪めて、およそ少女らしからぬ表情。
 妖精が目隠ししたような、ツァボライト・ガーネットの瞳が皮肉めいて歪んだ。



「………………アリス、君は哲学的だね」
「……からかわないで」
 規則的なカードが擦過する音。
 笑みを孕んだ青年の声は、手にしたカードの一枚のように軽やかなのだが、カードをカットし続ける音がアリスの耳に残る。
 蠢く虫の脚のような、獲物を引き裂くそれのように。
 声の主は、美しいともいえる手さばきで、オーバーハンドシャッフルを繰り返している。

 彼はこのサーカス団の団長、ジョーカーだ。
 突如、季節とサーカスを引き連れ、現れた。
 しかし、それはアリスにとっての主観であり、他の者にしてみれば、アリス達が引っ越して来たのかもしれない。
 少なくとも、ここは「ハートの国」でもなければ「クローバーの国」でもない。
 ルールらしいルールといえば、
  サーカスに定期的に通うこと。
  他の領土に行くには、ジョーカーとカードで勝負し、勝つこと。
 この二点くらいなものだ。

 そして、アリスはルールに従っている。
 向かい合った彼は、腰に刺した、彼の相棒、仮面のジョーカーと共に在る。
 先ほどから、仮面のジョーカーは「イカサマ防止だ!俺が見張る。俺がいいと言うまで、続けろ!」と先ほどから、それはそれはしつこく、団長のジョーかにシャッフルをさせ続けている。

「からかっているように聞こえる?」
「ええ。 あなたはお仕事柄、そういう言葉を選ぶ癖があるだけなのかもしれないけれど」

 青年の、節くれだった指先。
 労働者のそれ。
 手袋は富の象徴であり、裕福な中流階級に所属するリデル家でも、改まった席では三姉妹共に二の腕に届くほどの手袋を嵌めていた。
 しかし、優雅な貴婦人を気取った、長い手袋の女性達が、意中の紳士達の気を惹くような艶めかしい動きよりも、彼の無骨な指先のカード捌きに、アリスは一種の興を覚えたようだ。
 勿論、アリス当人がそう明言したわけではないが、彼女の視線が、それを物語っている。

「からかってなんていないさ。 俺達はこうやって、ゲームに興じているだけだろ?」
「そうね。 ……私の記憶が定かならば、私はあなたに『君は、誰を愛しているの?』と訊かれたはずよね?」
「何だァ? オマエ、もう耄碌しちまったのか?」
「……こら、ジョーカー……。 そうだね。君の記憶は確かなものだよ」
 団長のジョーカーはカードを手にしているから、仮面のジョーカーの悪いお口を塞ぐことができない。


「……そうよね」
 アリスは暴言を吐く仮面を、無視し言葉を続けた。

「……だからこそ、私は『この世界に愛なんてあるの?』って訊いたのよ」
「君は余所者とはいえ、愛くらい知っているだろう?」

 眦の位置が、目頭のそれより、少し下。
 だから、青年の印象は、少しだけ柔らかい。
 団長とはいえ、道化めいた格好をしている。人を小ばかにするような格好に反感を覚えるものもいれば、人を愉しませる姿としてありのままを愛するものも居る。

「……そうね。 私は余所者だから、貴方達の言うところの『愛』が私の知るところの『愛』なのか確認したくて」
「君の知るところの愛の概念がわからないと、俺達も答えようがないんだけれど」

 これからする、ゲームはブラックジャック。でも、青年は笑顔というポーカーフェイス。
 アリスは眉根を寄せた。

「久しぶりに言われたけれど『余所者』って呼ばれる疎外感って無くならないものね」
「……あれ?答えてくれないの?」
「何を、かしら?」
「愛について」
「アンタって、嫌なヤツよね……」
「悲しいな」

 青年は肩をすくめる。 カードのシャッフルのリズムは狂わないまま。

「思ってもみないことを口にできるところは、尊敬するけれど」
「…………君は」
「ケケッ!言われたな」

 仮面のジョーカーが、愉快だと言わんばかりに高笑いをする。

「ところで、いい加減に聞き飽きたわ。その……カードを切る音」
「テメエ、俺様の完璧なイカサマ防止策に恐れをなしたか!」
「……カードをシャッフルしているのはジョーカーじゃなくて俺なんだけどね」
「うるせっ!オマエもジョーカーだろうが」

 仮面のジョーカーは些かお育ちの知れる口調。
 勝負なのだから、勝敗に拘るのは道理だが、アリスが連勝しているので最近めっきり疑い深い。

「ところで、私はイカサマなんかしてないわよ」
「何故、即答じゃねぇんだ! やっぱりイカサマしていやかったか!」
「しないわよ……アンタ達の話に割り込むのが忍びなかっただけよ」
「じゃあ、何か、お前はギャンブラーの弟子か何かか? ……ひー……ふー……みー…………六連勝だぞ?意味わかんねぇっつーの! 毎回、もう一番の勝負はすっぱり断るし、さっさと季節変えて、サーカスの季節以外、寄り付きゃしねぇ!」

 仮面のジョーカーは小刻みに震えるように動く。余りの芸達者ぶりに、道化のジョーカーをアリスは目の端でちらりと見遣るが、小首を傾げるようにして、穏やかな微笑みを浮かべる。
 芸とはいえ、本当に仮面が命を得て動いているようだ。オックスフォードにも、時折旅芸人は来ていたが、ロンドンにもこれほどの芸達者が居ただろうか?

「……寂しいの?」
 アリスは、仮面のジョーカーについ、子供じみた同級生にかけるような言葉を言ってしまった。

「ばっ! 馬鹿じゃねぇの! じ、自意識過剰過ぎんだよ!」
「馬鹿って何よ!」

 案の定といった言葉の応酬。

「……ははは、君達って仲良しだねぇ」
 おっとりした口調で、道化のジョーカーが口を挟む。

「うるせーテメーは今度こそ勝てよ!ちゃんと今度は勝てるようにシャッフルしやがれ!」
「それこそイカサマじゃない!」

 今度こそ、アリスがいきり立つ。
 道化のジョーカーが、表情を変えたアリスに、よりその眦を下げた。

「ははは、イカサマなんてしないよ。 うーん……充分だと思うんだけどね。 指がつりそうだ」
「……カードも束になれば、それなりの重みがあるからな……」

 常ならば、歳じゃねぇのとでも食ってかかるはずの、仮面のジョーカー。
 アリスが小首を傾げるより先に、シャッシャッと音を立ててアリスの手元にホールカードができた。

 先ほどの言葉が、許可だったらしい。ジョーカー同士の合図だ。
 アリスが歯の隙間から退屈と不満を漏らす。

「……スゲー顔」
「うるさいわよ。 仮面のくせに」



「……不思議ね。 カードって吹けば飛ぶような紙でできているのに」
「……そうだね。 でも君はカードが嫌いじゃない」
「そうね。 特にカードに対して感慨もないのだけれど。 大切にしまってあるわ。 使いたい時に使えないと困るもの。 ……ああ、そうね。 私の世界での『愛』ってそんなものかもしれないわ」

 アリスは慣れた手つきでアップカードする。
 良家の子女としては褒められたことではないけれど、ここにはそれを責めるようなものはない。

「と、いうと?」

 ディーラーであるジョーカーもアップカードする。
 彼の手持ちは13。ヒットは必須。

「持てるものも持たざるものも居る。 持てるもので、賢いものだけが、恒久不変でないそれを大事にする。 だから、壊さずに持っていられるのは一握り。 ……平等ではないのよ」
「何だよ、ガキンチョ。 言うことは一著前だな」
「うるさい。 そんなこと言うなら、私に一度でも勝ってみなさいよ。 ……はい、スタンド」

 アリスの手札は、エースとナイン。ナチュラルとはいかなかったが、手堅く勝てる手だ。

「つまんねー女。 ヒットすりゃいいじゃねぇか。 バーストしたって、持たざるものは、失うもんなんてねえんだろ?」
「ははは、ジョーカー、それは暴論だよ。 俺だって彼女の手ならヒットするか悩ましいところだよ」
「ケッ!チキン共め」
「……あなたねぇ……私は堅実に勝ちたいの」

 アリスが思わず、仮面に向かって物申しそうになったが、すぐ取り澄ました顔で道化のジョーカーに向きあった。

「ヒットよね?」
「ディーラーはそういうルールだからね。17以上にならなくちゃ、ヒットをやめられない」

 芝居がかった抑揚の強い声で、ブローチと同じの輝きを宿した瞳で、アリスの頤から眦を舐めるように視線を這わせる。

「……早く引きなさいよ」
「やれやれ、君はせっかちだ」

 乾いた音を立てて、一枚捲る。

「……フォーだね」
「当然スタンドよね」
「ディーラーのルールだからね。 ふふ、今回はバーストしなかったけれど、負けちゃったな」
「くあぁぁぁぁっ! またかよ! イカサマじゃねぇんだったら、オマエ本当に弱いな!」

 仮面に対して表現するのは不適当だが、頭を抱えたような声を仮面のジョーカーが出す。

「ゲームには弱いくせに、本当に芸達者ね……」
「辛辣だな。 芸事もできなかったら、ただの役立たずってこと?」
「そこまでは言わないわ」
「まーなー、俺達はそれだけじゃねーしなー」
「……言っていなさい」
「ジョーカー、さり気なく今、彼女に辛辣なことを言われた気がするんだけれど、な」

 喋りながら、ジョーカーは、積んだカードの山…デックを指でついとなぞり、綺麗な扇状にする。

「……もう行くわ。 季節を春に変えてちょうだい」
「君は、すぐに行ってしまうんだね」
「そうね。 あなたもそろそろ仕事に戻った方がいいと思うわ。 団長なんだから」

 アリスは乱暴に席を立つ。
 行儀悪く、両手を卓に突いて、脚の屈伸力で椅子を背後に押し出すやり方で。

「……この手を退けてくれないかしら?」

 アリスの右手を、ジョーカーの左手が覆う。

「……このカードがルージュだったら、すぐにでも」

 青年は先ほど、扇状に広げた中から、中央の一枚を、人差し指の腹で引っ張り出してみせた。

「……ノワールだったら?」
「君の時間を少しだけ、俺達にくれないか?」

 アリスがぐいと力を込めて手を引こうとしても、青年はそれを赦さない。

「……………………………………………………嫌、よ」

 アリスは瞳に勝気な色を宿らせ、今度こそ、素早く手を引っ込めた。

「あなたとのゲームは、季節を変えることを賭けたカードでのゲームだけ。 さ、早く」

 青年は、やれやれと溜息をひとつ。
 少女はそれを無視して、季節が変わることを待ち、空を眺めている。

「君は、俺がどうやって季節を変えるか、それすら見ようとはしない」

 後姿の少女。
 ふわりと春風が少女の髪を撫でて、先ほどまで彼女が居た卓のカードを捲った。

 変えた季節について、ジョーカーが言葉をかけても、聞いているかどうか曖昧で、花の香りを吸い込んでその表情を和らげる。

 そして、少女は駆け出す。
 春の季節へ。


 ジョーカーは、その姿が視界から消えてもしばらくそこに佇んだ。
「……この世界に、愛はあるよ。 俺たちは君に会いにきた」
「アイツが全てを見つける必要はない。 ……むしろ見ない方が幸せなんじゃねぇの?」

「ジョーカーは優しいね。 あの子の幸せを考えられるなんて。 俺はあの子が頬を染める相手を、どうやって監獄に連れてくるかばかり考えてしまうよ」
「おー別にそりゃオマエの趣向だからな。俺は心底知ったこっちゃねぇ」
「やっぱり、君もジョーカーだね。 ……あの子、監獄で全てを見るかもしれない時間も近いのに…… 誰がどんなに彼女の瞳をその掌で覆っても、彼女は指の隙間を、彼女の手でこじ開けて、それを見てしまうんだ。 隠すから、ああやって迷うのに」

「それでも」
「うん?」

「……もしかしたら、見ないかもしれない。 オマエが手に入れる日は来ないかもしれないぜ?」
「それなら、君が手に入れる日が来るかもしれない……いいよ、それでも」

「何……?」
「俺だって君だから、君が手に入れるならば、俺が彼女を手に入れたことにもなる」

to be continued...


■なかやすみ
 ままこさんに捧げているジョーカー×アリス
 続いてるんだぜー。書き溜め中。
Faceless@MementMori 17/07/2010
作り置きした日は忘れたから、繋げた日。