第七章



 不埒者は追われる運命?
「あ、やめて?」
「ははは。そんな一応言ってみた的な棒読みで言われて、もっ!」
 何やらを投擲(とうてき)すると、エースはアリスをコートの下に庇護した。
 これほど、地面に這い蹲(つくば)ったのは初めてだ。屈辱的な格好をさせられている。…姉さんが知ったら、卒倒するだろうか?

 轟音と、振動。
 焔の直撃は喰らわないが、やはり。…足元が衝撃で崩れた。
「……!」
「ははははは…ローラーコースターより迫力あるだろ?」
 少し開いた唇が、熱風で焼ける。
 目も開けていられない。
「火山の中みたいだろ?ははっ!」
 返事は聞かず、エースはコートの中にアリスを抱いた。
 そのまま、小脇に抱えられるようにして、その場から逃げ出した。

 爆心地からゼロ地点は、溢れる熱気。
 そして、少し遠くなると火事にしては、少し香ばしい過ぎる匂い。
 足元は、踏みしめる度に…硝子が砕け、何かが折れる音。
 劈(つんざ)く悲鳴は誰もが耳を覆いたくなるもの。
 段々、キナ臭さの方が強くなる。目を閉じているが、独特の…人の焦げる嫌なニオイ。

 ひた走り、遊園地領土内を抜け、気付いたら、エースに抱えられるようにして、森らしき場所に二人は居た。
 エースに主導権を渡して走ったということは、迷子になったということ。
 …それ以外の答えは導きようがない。

 愚かだ。どうしようもなく愚かだ。
 同じ失敗を繰り返す。少しも先に進めていない。



 アリスは眉根を寄せ、知らず知らずのうちに、より深くエースの首にしがみついていた。
「…疲れた?少し休もっか?」
 もう少し、抱きついていたかったのに。
 底意地の悪いこの騎士は、ちゃんと理由を申し述べないと、易々と甘えさせてはくれない。
「……そうね。」
 今回はアリスが引く。たまには追いかけて欲しいから。
 気丈に手を放したつもりが、揺さぶられていたからだろう。平衡感覚が危うい。
「……。」
 騎士らしく。
 行動理念が独特だが、気まぐれなエースが、アリスが怪我をしないように、ゆっくり地に足を着けるまで手助けしてくれた。
「アリス、こっち。」
 指先と指先が触れ合ったまま、導かれる。そして、眼前のまだ新しい倒木にアリスを座るように促した。
 …その恭しい紳士の仕種がわざとらしい。
 そうかと思うと、大腿が触れ合う傍に自身も腰を下ろし、相変わらず奇術師のように、水筒を取り出す。
 彼の頭には、もう、先ほどの阿鼻叫喚は無いだろう。

 …その切り替えの速さには、付いていかないと、置いていかれる。
 エースは無骨なカップに、麗しい音を立ててそれを注ぐ。月明かりはカップで弾ける泡沫をきらきらと彩る。
 アリスがちろりとエースを横目で眺めると、その手中にある暖かい紅茶を勧めてくるのだ。

 …是非もない。
 自然に口許が微笑んで、それをひと啜りする。
 できるだけ、優雅な貴婦人を気取って。そんな自分をを赦してあげられるような美しい月夜だ。
「美味しい…」
 湯気と共に、香気が立ち上る。白磁のカップならば特徴的な金彩が楽しめただろう、ボヘアのものであろう紅茶。

 元の世界に帰らないと決めて、少しだけ変わったこと。それはエースの携帯するカップが二つに増えた。
 一緒のカップを共有するのも、悪くはないが、一緒にお茶を愉しむことができる。それも悪くはない。



「…温まるわ。」
 目を細めて眺められたりされなければ、もっと素直になれるのだけれど。
「俺は、君で温まるつもりだから。」
「…耳が馬鹿になりました。」
 そんなことを言われたら、つんと澄まして、厭味の一つも言いたくなるというものだ。
「…それは、報告?君は俺の部下じゃないんだから、そんな義務は無いよ。」
 厭味は通じない。それどころか、一刺し返される。アリスの狼狽を掌で弄ぶ狼がここに居る。唇の端から、隠し忘れた牙でも出してくれたら、いっそ諦めもつくのに。

「…何?聴こえないわ?」
 つい、とエースが笑みを深くした。アリスの細い喉がこくりと鳴る。ここで方向性を見失ってはいけない。

「…そうそう。…聴こえないけど、何が起こったかだけは、説明して欲しいわ。…今聞いておかないと後悔しそうな気がするから。」
「…ペーターさんのように都合のいい耳だね、アリス。」
「一眠りしたら、忘れるつもりなの。」
 聴こえているんだ。と、呟きつつ、エースはご機嫌な微笑みをアリスに向けた。

 狼は、森の賢者のように、目の前の羊をどうするか考える。
 考えた時点で、狩りの気分ではないということだ。
 喰い尽しては森が死ぬ。森が死んでは、狼もその森では生きては行けぬ。

 …狼が瞬きをした。往っていいよということだ。
「爆弾を使った訳じゃないよ。俺は騎士だしね。」
 行儀悪く、無言でカップを差し出せば、もう一杯と注いでくれる。
「…ありがとう。」
 エースはこの紅茶の香気と同じ位爽やかに微笑んで、少し行儀悪くカップを掲げる。その笑顔が彼らしくて、アリスは和んだ。

「…さっき、不思議なことに、遊園地内の食品工場に迷い込んじゃったよね。その時、間違えてよく挽いてある小麦粉を一袋持って来ちゃったんだよね…」
 間違えて、一抱えもある小麦粉の袋を持っては来ないだろう。

「小麦粉って時々、連れて行ってくれってうるさいよなっ?」
 どんなに混ぜ返したくても、ここは我慢だ。一度でも切っ掛けを与えては、話はあらぬ方向に逸れることになる。辛抱強く会話の腰を折らず、彼の言うままにせねばならぬ。



「……。」
 エースは駄目押しとばかりに、袋の封を切って、それを撒くような仕種をする。
「…小麦粉を撒いたら、火種を投げ込みたくなるよね…?」
 手首にスナップを効かせて、何かを投げる仕種をする。…ここで否定の言葉を口にしようものなら、アリスの命が危うい。
 彼の言葉をよく吟味して、曖昧に頷くと、彼の合格が出たようだ。
「…あの現象は粉塵爆発って言うんだ。ははっ!絶対良い子は真似しちゃいけないんだぜ?こちらに焔が向かってくる場合もあるからなっ!」
 語尾は笑声に覆いかぶさって消えた。
「……あ、聞かなかった、聴こえなかった。残念…だけれども、小麦粉がその気になれば殺傷能力があるって分かったわ…」
 アリスは瞼の重さに、対応がぞんざいになっていった。
「そうそう。一掴みの、よく挽いた小麦粉に、風。それに火種があればああなるんだ。まぁ城の中ではやらないことだねっ。」
「誰がやるか、誰が!!…あなたじゃあるまいし…」
 彼はハートの城の大回廊でキャンプファイヤーをやってのける猛者だ。あれにはアリスの度肝を抜かれた。

「…君もひどいなぁ。…朱に交われば…と言うけどさ…陛下に近づき過ぎじゃないか?…ま、いいか。今日のところはテント張ろう。君は眠そうだ。」
 こうして幾度目かのテントでの同衾だ。

 先刻のエースは、流石に多すぎる刺客にエースは面倒になったのだろう。いつにない荒業を見せた。
 アリスが遊園地で貞操と倫理感の崩壊の危機を味わっている時、刺客はエースを取り囲み始めていた。アリスですら気付いたのに、それに気付かぬエースでは無い。しかし、何かが彼の気に障ったらしい。

 わざわざ、看板の後ろからアリスの手を引き、遊園地の食品工場に潜入し、一抱えの小麦粉を手に入れた。
 その後、彼の驚異的な運動能力で、高低さを活かした袋小路に刺客を追い込んだかと思うと、おもむろに小麦を撒いた。
 思えば、風が渦巻くそんな場所だった。
 そして、一つ、火種を投げ込む。そうすると、彼の思い通りにあの惨状だ。

 ゴーランドの火器に耐えられる遊園地の壁のおかげで助かったとも云える。
 アリスはあれほど空気が振動して全身がむず痒い思いをしたのは初めてだ。




 きっと、刺客は一網打尽だ…あれで生きていたら、それはそれで嫌だ。
「ちょっと悪い夢見そう…」
「ははっ。揺れに酔った?…君は、運動不足なんだよ。」

 いつものように、手を取られる。スカートを摘まみ、馬車に乗り込む淑女のようにせいぜい気取って…テントに導かれる。

「…眠いわ。」
「眠れるよ。」

 清潔な毛布に、顔を埋められる枕。
 夜露を凌ぐテントに、柔らかい敷物。
 そうね、熱すぎるほどの貴方の躯も圧し掛かってくる。

 上着を脱ぐのもそこそこに、ふざけてアリスの髪飾りを取って、それにキスをする。
 アリスがムキになって、取り返そうと仕掛けると、今度は怪我をしないように、敷物の上の枕に倒れ込むのだ。
 ごろりと敷物の上で一回転。途端に天地が入れ替わる。

「What shall we do ?(わたくしに何かご用?)」
 小さい頃、耳慣れたリズムのままに、アリスの口から滑り出る。
 途端、クスクスとアリスより余程上品な微笑みをエースは向ける。
「ご用もご用。君の顔は煤けて真っ黒だ。」
「なっ!」
 気付いていたのなら、教えてくれればいいのに。見られたのはこの男だけだろうが、もっとも見られたくない相手に見られてしまった。
「意地悪!」
「そんなつもりは無いよ。いいもの見られたから、教えてあげたんだ。」
 濡らした手拭いで、アリスの顔を乱暴に拭う。
「ちょっと!自分で出来るわよ!」
「いいから。」
「あ、こら!勝手に。」
 愉しそうにあちらこちらに潜り込む。
「…どこまで、君は覚えていられるのかな?」
 無理な姿勢からの口付け。
「何を…?」
 吐息のように、やっとのことで問うが…
「…イロイロだよ。忘れられないようなことを詰め込んでも…」

 指が動き、アリス自身よりアリスのナカに侵入する。
「大丈夫そうだね。」
 答えたくなくて、顔を喉元に埋めた。

to be continued...

web拍手レス

■なかやすみ
そろそろ風呂敷を畳みだす。
終わりの方向に向かって。もそもそと。

[11/11/2009] Faceless.